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〒326-0803 栃木県足利市家富町2188




          

はじまり


日本最初期の幼稚園

明治34年(1901年)に、鑁阿寺住職 山越忍空(右写真)によって足利幼稚園設立。
約110年以上前といえば、数年後に日露戦争が勃発、ライト兄弟が人類初の動力飛行に成功――という現在とは全く様相の異なる時代でした。

当時の日本では、明治9年に日本初の国立お茶の水女子大附属幼稚園が設立しましたが、全国的には幼稚園自体の数も少なく、まして私立で仏教寺院での幼児教育というのは当時大変めずらしもので、画期的なものでした。




設立のきっかけ

先ごろ、群馬県にある富岡製糸場が世界遺産に認定されました。明治時代、足利も織物の街として繁栄し、世界を相手に取引をしていました。
当然、主婦も仕事をしている事が多く、小さな子供の相手は、遠方から出稼ぎに来ていた住み込みの子守の仕事でした。
しかし、その子守は小学校を卒業したばかりのまだ小さな子供だったのです。

子守たちは鑁阿寺境内に集まり、預かった子供を放って、遊びに夢中でした。しかも言葉遣いも荒く、お行儀もあまり良くなかったのです。 

その様子に心を痛めた山越忍空住職が境内に黒板を置き、子守学校を開設。言葉遣い、道徳などを指導したのが鑁阿寺が教育に踏み出したはじまりでした。その後、その東京女子師範学校附属幼稚園に範をとり、東京から先生を招き、明治34年に認可を受けて幼稚園と発展したのです。
また教育の場も境内からかつて千手院があった場所に移り、それは現在まで続いています。(千手院は鑁阿寺のお堂のひとつでした)


現在の通称「大日様」(鑁阿寺)

 
最初期の足利幼稚園の写真(明治40年)後方の僧侶は山越忍空(※ 幼稚園を創設したのは若干24歳の時)
後ろの建物は移築されて鑁阿寺の北門になった。

園庭で先生と園児でリズム(明治42年)

青い目の人形 Blue-eyed Dolls


 
 足利幼稚園に保存されている「青い目の人形」

日本からの返礼人形を抱くアメリカの少女、日本国際児童親善会を設立した渋沢栄一、ギューリック牧師

日露戦争(1904〜1905年)後に日本が満州の権益をにぎると、中国進出を狙うアメリカとの間で政治的緊張が起こり、両国民の対立が高まりつつありました。

そんななか、1927年(昭和2年)日米の対立を懸念したアメリカ人宣教師のシドニー・ギューリック博士が提唱して親善活動がおこなわれました。その一環として、米国から日本の子供に12,739体の「青い目の人形」が幼稚園・小学校に贈られました。

残念な事に第二次世界大戦中の反米・反英政策により敵性人形としてその多くが焼却処分されてしまいました。しかし当園では人形を大切に保存し続けました。これからも日米親善と平和を語るものとして大切にしていきたいと思っています。


アメリカから人形を贈られた時の記念写真。前列中央で人形を美智子皇后陛下の叔母様の正田公子様(昭和2年)

 

平成8年10月 天皇・皇后両陛下とベルギー国王御夫妻をお出迎えする園児(後ろのベージュの制服の子ども)

バラ「ピース」(PEACE)

 

第二次世界大戦の時代、仏メイアン社が作出。戦後、平和の尊さ、平和への願いを込め「ピース」と命名されたバラ。当園では山越忍済園長により、園の南西のフェンス付近に植えられました。

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